誰かに言われた言葉や仕打ちに「許せない」と
いつまでも、まるで怨念のように恨んだり、苦しんだりしている人居ますよね。
私もつい最近まではそうでした。
その人(こと)の情報を完全にブロックしても
ふとした事で、痛みを思い出したり、悲しんだり、怒りの感情に支配されたり。
そこを手放さないと、自分の行動や思考にブロックがかかって
前に進めないのはわかっているのに、完全に「許す」「手放す」が出来ませんでした。
去年あるコーチングを受けた際に
仕事のことで相談にのってもらったのですが
最近そのことを思い出し、自分の中でやっと消化出来た方法があります。
それは「死を思う」こと。
例えば今抱えている問題が解決しないまま
病気になり、寝たきりになったとしましょう。
1年後、あなたはどう思いますか?
5年後もそのままだったら、あなたはどう思いますか?
10年後…
20年後…
30年後…
…そして自分の死期がやってきた時、どう思いますか?
私は「こんなはずじゃなかった」と思い
「もっと好きな事をしておけば良かった」と思います。
そして、死ぬ前に今の自分に声をかけるとしたら?
何て言いますか?
「自分のやりたい事を精一杯やりなさい。
1日1日を精一杯大切に生きなさい」
生きている事は奇跡なんです。
何度も書いていますが、私は結婚してすぐ1日に2回も救急車で運ばれ
急性喉頭炎で、喉が腫れて気道が狭くなったところに
痰が蓋をしてしまい、呼吸が出来なくなり「死」を感じました。
その時、心の底から「死にたくない!」と思ったのです。
そんなことも時間が経てば忘れてしまうもの。
でも今、私は毎日寝る前に「今日も生きていた」ということに
感謝して眠りについています。
1000枚クッキーキャンセルの時は本当に目の前が真っ暗になりましたが
結果的には、たくさんの方にさくらねこクッキーを知ってもらう事が出来て
応援してくださる方が増えて
「今年中に」と目標に掲げていた売り上げを達成することが出来ました。
これ、本当にすごいことなんです。
私の「HELP!」に100人以上の方が
優しい手を差し伸べてくださったのです。
世の中、捨てたものじゃない。
どんなつらい事があっても、死ぬ訳じゃない。
私はまだ生きて、やりたい事、やらなきゃいけない事があります。
「死を思う」ことは「生きていること」の喜びを感じること。
私の人生を精一杯楽しみます。